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「権利」は「闘争」の果てにしか与えられない!! 「天賦人権」(:「てんぷじんけん」=人権とは天が人に元来から授けたものであるという考え方)というのはリーガルフィクションに過ぎないのです。 「天は自ら助ける者のみを助ける」という諺のとおりです。


日本国内で「公平な第三者による公権的裁定」が得られるのは裁判所の「判決」や「決定」や「命令」のみであり、お話し合いの一種である調停手続や、在野の弁護士会や仲裁機関では決してありえません。

画像の上が最高裁判所で、下が東京地方裁判所・東京高等裁判所です。


さて、『「天賦人権」(:「てんぷじんけん」=人権とは天が人に元来から授けたものであるという考え方)というのはリーガルフィクションに過ぎない』ということについて、もう少しお話しましょう。法律事務所を訪れる依頼者の中にも「私の○○権が侵害されているんです!」などと駆け込んでくる方もいますが、人権というのは壮大なリーガルフィクションでその実現には裁判などの闘争が不可欠なのです。


西洋において、中世になって、産業革命のほか、各種経済活動が盛んになって、商人は様々な商品を様々な土地で販売したいと考えるようになりました。しかし、ギルド制によって、商人は取り扱う商品を限定され、かつ、営業活動をおこなう場所を限定されていました。しかし、このような商人たちの中で、「自分の経済的自由(又は営業の自由)が侵害されている!」などと考えた者はいなかったはずなのです。つまり、現代人は上記の法律事務所への依頼者のように「○○権の侵害→侵害の除去を図る(図りたい)」と考えますが、中世の人間にとっては、現実の侵害・抑圧状況が全てで人権や権利を考えた者はいなかったのです。


そのような状況の中で、いわゆる、著名な啓蒙家といわれる人物が現れ、現実の侵害・抑圧状況を排除する、「人権」や「権利」がこの世に存在すると唱え始め、そして、そのような、「人権」や「権利」は天が人間に対して生まれながら付与したものだという「天賦人権論」を唱えました。

しかし、啓蒙家が、単なる思想・哲学として唱えたものであることから分かるように、「人権」や「権利」は見えるものでも触れるものでもない形而上のものであり、「天が賦与した」などというのも、完全な哲学的なフィクションであることに気付くはずです。

もっとも、近代に入り、各国において、権利意識が高揚し、憲法を定めるにいたると、このようなフィクションには眼をつぶり、「人権」や「権利」が先にありきという体裁をとって、さらに各種法律を定めるにいたりました。そして、裁判制度、とりわけ、強制執行制度を整えることで、リーガル・フィクションであった天賦人権による人権や権利が実際の社会で実現するようにしたのです。

しかし、現代においても、天賦人権論がリーガル・フィクションであるという『真実』には変わりありません。あなたが、何らかの現実の侵害や抑圧状況に陥ったとき、とりわけ、埒の明かない相手に向かって「自分の○○権が侵害されている!」などといくら唱えても何の解決にもなりません。公権的裁定である裁判をおこなって、強制的に実現するしかないのです。



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