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直前のトピックで少し述べたことですが、一般の憲法の教科書(法律書)には、「表現の自由」(憲法21条)から「知る権利」が生成される経緯について、以下のような記載があるのが通常です。

曰く、

「憲法21条の「表現の自由」とは、伝統的には言論や出版の自由に始まり、やがて、すべての表現媒体による表現、つまり、表現を発信する「送り手」の自由であった。しかし、現代社会では、マスメディアの発達により、「送り手」と「受け手」が顕著に分離するようになると、「表現の自由」を一般国民の「受け手」の自由として再構成する必要が出てきた。そこで生まれたのが「知る権利」という表現を受領する自由であり、「知る権利」も憲法21条の「表現の自由」に含まれて保護されると解されている。

ここで、「現代社会」とありますが、「ポストモダン(先端的現代)」というか、「本当の現代」にいたっては状況が変化しているのではないでしょうか? (つまり憲法の法律書の「現代社会」というのはすでに過去と言うこと)

それは、いうまでもなくインターネットの発達であり、一般国民がだれでもホームページ(ウェブサイトって呼ぶのが正しいのですが)やブログや動画投稿サイトで、自己の表現を発信できるようになったからです。
現に、企業の不祥事がネット上で告発されたこともありました。そして、中国漁船の海上保安庁の船舶への衝突の様子も一海上保安官の手によってなされました。このように、憲法21条の「表現の自由」は表現を受領する自由としての「知る権利」から「表現を発信する自由」に原点回帰しつつあるのではないかと考える次第です。

もちろん、「知る権利」の重要性が無くなるわけではありませんが、単純に「表現の自由」を「知る権利」に再構成して、それを演繹していけばすべての問題が解決するというような単純な議論は当てはまらなくなると考えています。


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