FC2ブログ
久しぶりに、弁護士ブログらしく、法律問題について述べてみたいと思います。でも、こういうトピックってアクセス数が伸びないんだよなぁ(笑)。

TBSドラマ「運命の人」(山崎豊子女史原作)で、主人公の弓成記者(西山記者をモデルとされる本作の主人公)が、国家機密のそそのかしによる漏洩の罪で捜査機関に逮捕されてから、かかる逮捕に抗議する意味合いで、新聞各社は国民の「知る権利」を守れ!というキャンペーンを打ちました。

このように、「知る権利」の行使主体は国民であって報道機関では無いのですが、(世論を誘導することがあるとはいえ)新聞が「社会の木鐸」として、国民の「知る権利」の保護を代弁したわけです。

さて、そもそも、「知る権利」とは何なんでしょうか? 「知る権利」の語自体は憲法には規定されていません。

憲法21条の「表現の自由」とは、伝統的には、政治的思想の言論や出版の自由に始まり、その後は広範な表現内容につきあらゆる表現媒体による発信の自由、つまり、表現を発信する「送り手」の自由となりました。しかし、(少し以前の)現代社会では、マスメディアの発達により、「送り手」と「受け手」が顕著に分離するようになると、「表現の自由」を一般国民の「受け手」の自由として再構成する必要が出てきたのです。そこで生まれたのが「知る権利」という表現を受領する「受け手」の自由で、「知る権利」も憲法21条の「表現の自由」に含まれて保護されるとされています。

・・・ところが、ポストモダン(先端的現代)では、インターネットの発達で、一般国民もウェブサイトやブログや動画投稿サイトで「送り手」としての表現の自由を行使できるようになってきており、「送り手」と「受け手」の乖離=「知る権利」の保護も変容を余儀なくされるというか、表現の自由も「送り手」の自由に原点回帰を志向するかもしれません。しかし、この話題はpart2で触れます。

話を元に戻して、国民には「知る権利」が憲法21条の「表現の自由」で保障されていることになるわけです。その国民の「知る権利」に奉仕するものとして、報道機関には「報道の自由」が同じく憲法21条の「表現の自由」として保障されています。

そして、今回のドラマの「運命の人」の弓成記者で問題になっているのは取材行為ですから、「取材の自由」と「取材源(ニュース・ソース)秘匿の自由」が憲法上認められるかです。取材行為は「報道」の準備行為ですから、この点、最高裁は、「憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値する」というやや難しい判示をおこなっていますが、要は、憲法21条で直接保障されるものでは無いけど重要性は認めるということです。

「表現の自由」(憲法21条)
   ↓
「知る権利」
   ↓
「報道の自由」
   ↓
<ここまでが憲法21条で保障>
   ↓
「取材の自由」「取材源(ニュース・ソース)秘匿の自由」
<憲法21条の精神に照らし、十分に尊重に値する>=憲法21条「表現の自由」の直接保障の枠外

・・・というように、憲法上の文言にあるオリジナルの「表現の自由」からこれだけの表現に関する自由が演繹されているわけですが、オリジナルから離れるほど保障の程度も弱くなるわけです。


関連記事
スポンサーサイト



Secret

TrackBackURL
→http://saiunlaw.blog40.fc2.com/tb.php/251-c354dd0d