FC2ブログ
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

三菱A6M2b零式艦上戦闘機二一型 V-128号 坂井三郎機
タミヤ1/32零戦五二型リアルサウンドアクションを同社零戦二一型にコンバートして製作

Mitsubishi A6M2b ZERO Type 21("ZEKE") V-128 Saburo "SAMURAI!" SAKAI use
Scale 1/32 Model Kit "ZERO52 Real Sound Action" converted into "ZERO21" from TAMIYA

【注意!】
今回のトピックは相当リキが入った大長文です。ご覚悟の上、お読みください(笑)!
【CAUTION!】
This topic is so long and heavy for an ordinally blog reader !  Are you really ready to read this extraordinally long topic?

 三菱A6M2b零式艦上戦闘機二一型(連合軍コードネーム「ZEKE」:ジークと発します)は、現在の三菱重工である当時の三菱が、日本帝国海軍の発注を受けて(三菱と併せて当時二大航空機メーカーとして、日本帝国陸軍の「一式戦隼」や「二式戦鍾馗」や「四式戦疾風」などで有名だった中島飛行機にも同時に開発の発注はありましたが同社はまもなく一二試艦戦の開発を辞退したのであります)、昭和12年、一二試艦上戦闘機として、三菱は堀越二郎技師(昨年、宮崎駿監督の最後の長編アニメ映画として「風立ちぬ」の主人公とされ、零戦の前世代の機体の試作機たちである七試艦上戦闘機の試作の失敗やそれにひきつづき零戦の一世代前の日本帝国海軍の主力艦上戦闘機だった九六式艦上戦闘機の試作機である九試単座戦闘機の開発成功の描写がなされておりました。「3回も劇場で観てしまいました・・・宮崎駿監督の最後の長編アニメ映画「風立ちぬ」/A Hayao MIYAZAKI's Animation Film "The Wind Rises"」のトピックをご参照ください)を主任設計士として開発を開始して、同機は昭和15年に零式艦上戦闘機として正式採用されて、日中戦争後期の中国大陸にて中国空軍相手にデビューしたのに引き続き、第二次大戦中を通して終戦まで、大日本帝国海軍が運用した艦上戦闘機です。大戦当初の登場時、零戦は、すぐれた格闘能力と長大な航続距離を備えた世界最強の艦上戦闘機(航空母艦すなわち空母の甲板を滑走路にして運用する戦闘機のことです)でした。

 
この零式艦上戦闘機二一型V-128号機は、自叙伝的戦闘記録である一連の書籍の「大空のサムライ」文庫版は講談社+α文庫や光人社NF文庫から刊行されています。ZEKE@SAALは小学校4年生の時からハードカバーの同書を読み込んでいました←プチ自慢。同書は"SAMURAI !"のタイトルで全世界で40か国語以上に翻訳され「源氏物語」よりも非公式ながら海外発行部数が多い日本一の書籍です。また、一説には、1990年8月2日にイラクがクウェートに侵攻したのを機に、国際連合が多国籍軍(連合軍)の派遣を決定し、1991年1月17日にイラクを空爆した事に始まった第一次湾岸戦争時、イラク軍のファイターパイロット全員にイスラム語に翻訳された"SAMURAI !"が戦闘教材として配布されていたと言われております)の著者として世界的にも有名な坂井三郎一飛曹(さかいさぶろう・「海軍一等飛行兵曹」の略で「いっぴそう」と読みます。最終階級:終戦時海軍少尉、戦後復員除隊時海軍中尉。1916年(大正5年)8月26日生まれ2000年(平成12年)9月22日御逝去。wikipedia/ウィキペデアの坂井三郎元海軍中尉に関する記載は同中尉に対する悪意に満ちた誤りや誹謗中傷じみた記述や論評が多いの注意してくださいが、昭和17年(1942年)8月7日、現在のパプアニューギニアのニューブリテン島北端に位置するラバウル基地から出撃して、ソロモン諸島の最大の島であるガダルカナル島におけるアメリカ軍の突如の上陸作戦に対する空襲の護衛に参加した時の機体であるという説が現在では有力です。同日、同一飛曹は、アメリカ海軍の急降下爆撃機ダグラスSBDドーントレスの攻撃により頭部、右眼失明、胸、左足、肘に重傷を負いましたが、ガダルカナル島周辺から長駆4時間半にわたる560海里(キロメートル換算1,037km)*の苦難の帰投の末、奇跡的にラバウル基地に辿り着きました。

 同日に実施された零戦、一式陸攻及び九六式陸攻から構成される戦爆連合によるガダルカナル島の米国上陸部隊への空爆は、ガダルカナル島の日米間の陸海空の覇権をめぐる「ガダルカナル戦闘(ソロモン戦闘)」の開始であり、さらに、戦爆連合による攻撃のみならず、零戦隊のみで構成された制空隊によるガダルカナル基地周辺の制空権の奪取を目的とする出撃も多数回実施され、ラバウル基地を本拠とする日本海軍飛行隊によるガダルカナル島周辺の制空権をめぐる長く苦しい戦闘の連続は一大消耗戦となり、俗にいう日本海軍ラバウル航空隊は結局のところ回復の余地が無いほどに消耗します。さらに海上では日米両国の艦船による海戦が多数繰り広げられ、ラバウル島の日米の陸上部隊の戦闘も日本陸軍の玉砕まで続くこととなったのです。

 
 

 The Mitsubishi A6M2b ZERO fighter Type 21 (the Allied codename was "ZEKE") was a carrier-based fighter aircraft used by the Imperial Japanese Navy in World War II. When it was debuted into the late of the China War before the World War II, the ZERO was the best carrier-based fighter aircraft in the world, combining excellent maneuverability and very long range.
 This ZERO fighter "V-128" was the aircraft which was airborne from the Rabaul Air-Base in East New Britain province, Papua New Guinea on August 7th, 1942 and participated in the combat sortie over Guadalcanal by Flight Petty Officer, 1st Class (Final rank: Lieutenant Junior Grade) Saburo "SAMURAI !" SAKAI, who is the worldly famous author of the battle autobiography "SAMURAI !" (Ozora no SAMURAI) . On that day, although he was heavily injured in his head, lost-sight of his right-eye, chest, left leg, elbow attacked by the dive bombers, Douglas SBD Dauntless of the U.S. NAVY, he miraculously managed to arrive at the Rabaul Air-Base after a struggle over 4-1/2 hours painful flight for 560 nautical miles (1,037km)*.


諸元/Specifications:

全長/Length: 9.05m
全幅/Wingspan: 12.0m
全高/Height: 3.53m
乗員/Crew: 1名/One
発動機/Power plant: 中島栄一二型(離昇出力940馬力)/Nakajima SAKAE 12 (940 hp)
航続距離(落下式増槽燃料タンクを装備した巡航速度)/Maximum cruising range: 3,502km
最大速度/Maximum speed: 533.4km/h
武装/Armament: 20mm機銃×2/7.7mm機銃×2/30又は60kg爆弾×2
     20mm Machine cannon×2 / 7.7mm Machine gun×2 / 30 or 60 kg Bomb×2

* ちなみに、Sea Mileとも呼ばれる、Nautical Mile(ノーティカルマイル)は日本語では「海里」または「浬」と表記されますが、一般に用いられている「カイリ」というカタカナ表記は本当は正式ではありません。日本の航空機や艦船に関する上記の速度表示は、主にアメリカ圏でいまだに主流の地上の自動車のスピードなどに用いる1mile:約1.6093kmに換算されるグランドマイル(通常は単にmile=マイルと言いますが)のことを意味するのではなくて、日本を含む旧西側の航空機や艦船の高度や速度表示でいまだに主流となっている、速度は1mileすなわち1Nautical Mile(ノーティカルマイル)、キロメートル換算で約1.852kmになります。高度はフィート表示(1フィート、すなわち30.48cm)を意味していますが、不思議なことに旧東側航空機でははるかに以前からメートル法の表記の高度や速度表示に移行しています。


* "Nautical Mile", which is also called "Sea Mile", is represented in Chinese characters of Japanese as "海里" or "浬".   "カイリ" in Katakana, which is generally used, is not really formal.  Speed display on Japanese aircraft and vessels as above does not mean 1 mile: which is "Grand mile" converted to about 1,6093km(usually just only called a mile = マイル), still used mostly in American area for the speed of cars on the ground etc. 
   It means here 1mile (mutical Mile), which is converted to approx. 1.852km in kilometers terms for speed, and, 1feet (30.48cm) is still used for altitude, in former Western countries under the time of the cold war including Japan, for Speed and Altitude display of aircrafts and vessels.
  
Strangely, former Eastern countries' aircrafts and vessels have been migrated to Metric representation for altitude and speed display from much earlier time.

零式艦上戦闘機二一型V-128号坂井三郎機固有の特徴について
  1. 風防後部の無線用アンテナ支柱を風防の根元から切断して撤去し、併せて、アンテナ柱と垂直尾翼上端をつなぐアンテナ線も撤去されていた。
     操縦席内に装備されていた「九六式空一号空中無線機」の雑音(ノイズ)が実用に耐えないほどひどかったため(様々な原因はありましたが、最大の原因は空中でのアースすなわち静電気の放電の方法が日本では実用化できなかったことにあります。後に墜落した米軍機の残骸を分析研究した結果、無線機の空中アース方法が判明し、ようやく昭和18年ころになって実用に耐える「三式空一号空中無線機」が正式採用されて、後述の第三四三海軍航空隊の編隊空戦などでどうにか有効に活用されるようになり、搭乗員の飛行帽もそれに合わせた仕様に変更されました)、坂井三郎元海軍中尉は重量のかさむ無線機を機体から下ろし、さらに整備員から拝借したノコギリで木製中空の無線用アンテナ支柱を自らの手で切断したといわれています(笑)。本人いわく「これでいくらか空気抵抗が減った」と。もっとも、ラバウル基地などの地上基地使用機では同様に無線機を下して無線用アンテナ支柱を撤去した機は往々にして写真が残っています。
  2. クルシー無線帰投装置及びそのループアンテナを装備していない。
     クルシー無線帰投装置(通称「ク式」。昔の資料でこれを「7式」と誤表記していたのがありましたが、終戦の昭和20年=1945年=皇紀2005年で「五式」が最後の年になるわけで、「7式」では戦争に間に合いません。笑)とは同装置が電波を発信するか、もしくは、攻撃目標または目的地から電波を受信することで、航法の確実を期す装置で(電波を使った航空機のナビゲーションシステムというわけです)、これも零戦の操縦席後部に装備され、専用のループアンテナが操縦席の頭当て(ヘッドレスト)後方の第三風防の内側に標準装備されていました。日本時間1941年12月8日黎明(ハワイ時間1941年12月7日深夜)、日本帝国海軍南雲機動部隊による真珠湾攻撃においても、オアフ島を攻撃する日本海軍攻撃機の編隊は、クルシー無線帰投装置でハワイ・オアフ島から発せられるラジオ放送の電波を拾って、攻撃目標のハワイ・オアフ島の真珠湾(パールハーバー)を目指したのでした。ところが、帰投時は、敵に存在位置を知られては困る味方の空母6隻で構成されている南雲機動部隊の電波発信源を秘匿すべく、同装置は用いられることはなかったといわれております。また、ラバウル基地は敵味方に存在地を知られた基地だったわけで(笑)、同装置には最初から使用用途が無く、基地使用戦闘機には無用の長物だったため、機体から下ろされていた訳です。もっとも、同装置は全面的にアメリカ合衆国からの輸入に頼っていた装置だったため、アメリカ合衆国による対日禁輸措置でどの途消えゆく運命にある装備だったわけです。
  3. 胴体後部下面に着艦フックを装備しておらず着艦フック用に機体に空いている孔は鉄またはジュラルミン製の板で塞がれていた。
     着艦フックは空母搭載機が空母の飛行甲板に着艦する際に甲板上に横に貼られた金属製ワイヤーにフックをひっかけて、機体を強制的に停止させる装置です。当然ながら、陸上の地上航空隊の基地使用機では無用の長物で重量もかさむうえに空気抵抗を軽減化するためにも、同フックを装備せずにその孔は金属板で塞いでいたのでありました。


    Specific features of the Zero Fighter Type 21 "V-128" used by Saburo "SAMURAI!" SAKAI
     
    1. An antenna support pole for radio at the back of canopy was cut down from the root of canopy and removed.
    2. Not equipped with a Crusey Radio Navigation System for aircrafts and its loop antenna. 
    3. An arresting hook was not equipped at the underside of the rear body of this airplane, and a hole on the airframe for the arresting hook was covered by iron or duralumin plate. 
 
233px-Lentaja.jpg

 中国大陸漢口基地において、高高度電熱防寒服の実験(日本製は品質が悪く上空で電熱がショートして火傷を負うなどの事故が絶えなかったといわれており、坂井三郎元海軍中尉ご自身も同様の被害にあわれています)のために、離陸直前の坂井三郎元海軍中尉の実際のポートレートです。すでに日中戦争にていくつかの実戦を経験して撃墜数を重ね、若干20代前半にしてこの凄みというか殺気のある風貌が特徴的です。この一葉は坂井三郎元海軍中尉の生前からのお気に入りといわれ(同中尉の写真は腕組みか両腕を腰に添えたポーズが何故か圧倒的に多いのです)、2000年(平成12年)のご逝去後に青山葬儀場で開催された「お別れの会」にZEKE@SAALも参列させていただきましたが、そのお礼として御婦人の御挨拶文とともに後日に送られてきた記念テレフォンカードにもこのポートレートで、故人の御名前のサインが日英でプリントされておりました。

DSCN0089_small.jpg 
 32分の1スケールの零戦二一型の左翼下の左主脚の前で、両腕を腰に当てて片足に重心を乗せている、お得意のポーズをとる同スケールの坂井三郎元海軍中尉のファインモールド製のフィギュアを自分が製作してみました(模型専門誌モデルグラフィックス他の編集部である株式会社アートボックスの代表取締役で同誌の編集長である市村弘様の手取り足取りの全面的御指導を頂きましたが)。ファインモールドから発売されているこのフィギュアは比較的によくできているのですが、ストレートに組み立てると、両手が腰にあたらないのと、両脚に同等にバランスを乗せているので、棒立ちをしているように見えてしますのです。

Finemoldes' figure of Lieutenant Junior Grade Saburo SAKAI captures his form relatively well.  However, if you build it straight from the box, the both arms do not reach its waist and it looks as if standing upright since it is putting balance on the both legs equally.

Therefore, I myself have built and modified as his one of favorite poses, putting both arms on its waist and putting center of gravity on its one leg.


DSC_0059_small.jpg 

 もはや入手困難な段ボール製ケース入りの豪華愛蔵版「大空のサムライ」とZEKE@SAALが製作した1/32坂井三郎元海軍中尉のフィギュア。

A Special Gorgeous Edition Book of "SAMURAI !" wrapped in a case of the corrugated cardboard with the 1/32 figure of Lieutenant Junior Grade Saburo SAKAI.


DSC_0060_small.jpg
 

 1/32坂井三郎元海軍中尉のフィギュアが立つ豪華愛蔵版の「大空のサムライ」と、故人のお別れの会の参列者に御婦人とご親戚一同様より後日送られてきた御挨拶文(故人が毎日朝晩神棚の前で唱えておられたという「海軍五省(かいぐんごせい)」が引用されております)と故人の日英のサインが刷られたテレフォンカード。同書の帯文には坂井三郎元海軍中尉からの「贈る言葉!」として「本書が世に出て早くも30年―国内はもとより社会のあらゆる階層の方々から、一万通を遥かに超える読後感、感想文を頂戴し、それは今も絶ゆるこはない。あの大戦に好むと好まざるとに関わりなく、命の限りを賭した方も、そうでなかった方も、志す道こそ違え皆ひとしく、逆境に耐え苦難を乗り越え、『不撓不屈』の志を胸に秘めて立ち向かえば如何なることも成就しえると知ったと述べられている。本書に『不撓不屈』と揮毫した所以です―坂井三郎」と記載されております。

A Special Gorgeous Edition Book of "SAMURAI !" with the 1/32 figure of Lieutenant Junior Grade Saburo SAKAI, and a thank-you letter for his funeral and a telephone prepaid card of his portrait which have been sent by his bereaved. 



DSC_0062_small.jpg
 

 1/32坂井三郎元海軍中尉のフィギュアが立つ(シツコイ)、豪華愛蔵版「大空のサムライ」に綴じこまれている坂井三郎元海軍中尉直筆(達筆!)の座右の銘である「不撓不屈」(ふとうふくつ)の揮毫。お別れ会で英語でスピーチしたアメリカ合衆国海軍厚木航空隊司令は"Never Give Up"と表現していました。 

Above picture is a skillful calligraphy by Lieutenant Junior Grade Saburo SAKAI which includes his autograph and his motto: "不撓不屈" ("Futo-fukutsu") , in a Special Gorgeous Edition Book of "SAMURAI ! " with the 1/32 figure of Lieutenant Junior Grade Saburo SAKAI.

U.S. Navy Atsugi Air Squadron Commander, who made speech in English at his funeral, expressed his motto : "Futo-fukutsu" as "Never Give Up".

 ところで、本トッピク冒頭のyoutube動画は、スピーカー、アンプ付き基板、バッテリーを内蔵した木製台座のディスプレイ全体の大きさの対比として現行の500円硬貨(直径26.5ミリ)のアップから始まり、坂井三郎一飛曹(身長が160センチ少々と小柄だったため32分の1のフィギュアとしては小さい方で1/48に近いサイズです)が左主翼後方に立ち、別の搭乗員が零戦二一型V-128号の栄発動機を作動し始めて(実際の零戦には現在のジェット機が装備するAPUすなわちAuxiliary Power Unitのような補助動力装置が無かったので、零戦単独で発動機を作動させることはできず、エンジン覆いであるカウリング直後のクランク穴にクランクハンドルを差し込んで、2ないし3名の整備員が共同で渾身の力をこめてクランクハンドルを回すとプロペラが慣性で回転し始める構造となっています)、パラパラと不規則にプロペラが回転し始め、途中で気化気不良でプロペラが止まりかけたりもしながらも(実機でもよくあることです)、やがて離陸のための全力運転に移行し、両翼端、両翼上面の灯火及び操縦席右壁面の操縦席灯が実際に点灯している様子のアップを経て、その後、搭乗員が徐々にスロットルレバーを閉じることで、栄発動機を停止させるまでの様子を撮影しています。このタミヤ製の零式艦上戦闘機二一型は、縮尺が32分の1スケールの模型であり、機体の全長が約28.3センチ、全幅(主翼の横幅の長さ)が約37.5センチ、全高が約11センチ、木製台座の重量が5キロを超える巨大モデルで、狭い我が家や自分の事務所のどこにおけばいいのか悩む作品になってしまっています(笑)。今回も各種模型専門誌でご活躍中のプロモデラー、北風舎様に天井無しの予算(!)のオーダーメードでご製作を依頼したものですが、もっとも、同氏に任せきりにしたのではなく、モデル化する実機の各種考証や研究、木製台座に添付する日英両文のキャプションの作成、ファインモールド製1/32坂井三郎フィギュアのポーズ替え改造等(モデルグラフィックス他の模型専門誌を刊行する株式会社アートボックス代表取締役の市村弘様の御指導を全面的に受けましたけど・・・)は自分自身が行っています。


【いわゆる零戦飴色(あめいろ)論争について】
飴色 
飴色(あめいろ)塗装が施されて日本国外でリバースエンジニアリング復元されて飛行する零戦二一型

 上記youtube動画をご覧いただいて、、機体の塗装が近時流行の説(笑)である飴色(あめいろ)になっておらず、旧来からの推定塗装である明灰白色(曇り空に溶け込みやすい機体色です)でに近い塗装がなされた零戦の機体色に違和感や考証不足を疑う方もいるかもしれません。いわゆる「飴色論争」についてですが、去る一時期、今まで明灰白色で塗装されていたとされる零戦は実際には「飴色」で塗装されていたという説が主に外国人研究者の一部から有力に主張されました。上記の画像のようにかかる説に従って海外で復元された零戦もありますが、何だか使い古しの畳のような色で、違和感を禁じえません(笑)。飴色を主張する研究者は同色に見える実機破片等の存在を根拠としているようですがそのような破片の塗装は変色している恐れもあるわけで、仮に生産直後はワニスの一種と推定される飴色で塗装された機体も南方の強力な日差しの下で明灰白色に近い色に変色した可能性もあります。今回の作品製作の考証においては、結局のところ、タミヤから出ているの缶スプレーの明灰白色が最も近似しているのではないかと判断し、この作品にはタミヤの缶スプレーの明灰白色に若干の飴色を加えた機体色としました。


 皇紀2000年にあたる昭和15年(1940年)に大日本帝国海軍に正式採用された零式艦上戦闘機は全機このような飴色がかかった明灰白色の機体色だったのです。もっとも、太平洋戦争中期になって南方作戦の空中戦が多くなるにつれて、全面
飴色がかかった明灰白色の機体色ではジャングル上空を飛行する零戦が上空からの敵機に視認されやすいという理由で、零戦の機体の翼と胴体の上面を濃緑色で塗装する一種の迷彩塗装が導入されることになったのです。

 そのせいかもしれませんが戦後は「ゼロ戦は緑色!」というイメージが世界的に定着してしまいました。理由は色々考えられるでしょうが、一番有力なのは、戦争初期の明灰白色の機体色の零戦の存在は日本国民にも秘匿兵器とされていたのに対し(ちなみに戦艦大和と武蔵は建造計画の立案から終戦後しばらくまで日本国民に対してすら秘匿兵器とされてその存在を知られておらず、戦前の日本国民にとっての日本海軍の戦艦のシンボルは戦艦長門でした)、戦況が悪化した戦争中期になって、「我等ガ大日本帝国ニ期待ノ新鋭海鷲戦闘機現ル」というプロパガンダが国民に広く喧伝されて、機体の上面が濃緑色で塗装された零戦が国民にも公開されたことが関係しているのではないかと思います。

 おそらくはこのようなエピソードの影響かとは思われますが、多くの映像作品で「ゼロ戦は緑色!」という傾向がみられます。
アメリカ映画の「PEARL HARBOR」(邦題:「パールハーバー」。これはヒドイ映画だった。笑…えない)では、実際に飛行可能な復元機の機体上面が濃緑色の零戦五二型(アメリカ合衆国プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館所蔵のオリジナルの栄発動機を搭載した唯一の貴重な機体で本トピックのタミヤ製零戦五二型リアルサウンドアクションもタミヤがわざわざ同機を取材して実際のエンジンサウンドを録音したものが同キットの素材となっています)や、ロシアでリバースエンジニアリング復元された零戦二二型など飛行可能な零戦が合計3機調達されて飛行シークエンスの撮影とVFXのモデルとされております。
 邦画では、前年の「連合艦隊」に続いて1984年の東宝8.15シリーズで制作された「零戦燃ゆ」では、零戦と紫電改を乗り継いで、終戦直前の昭和20年4月15日、第三四三海軍航空隊が転戦していた鹿屋基地から紫電改で離陸出撃を試みた際に襲撃してきた米国海軍のF-6Fヘルキャットに撃墜されて惜しくも壮絶な戦死を遂げられた実在のエース(撃墜王)である杉田庄一海軍少尉(最終階級は上等飛行兵曹、戦死後海軍少尉)・・・同少尉は、残念ながら、第三四三海軍航空隊の飛行教官を務めていた坂井三郎元海軍中尉のことは快く思っていなかったとの伝承がありますが様々な人間関係の軋轢は零戦搭乗員の間も一つの「社会」ですから致し方ないことです・・・をモデルとして製作されていますが、かかる史実とは異なる脚色がなされていて、主人公浜田正一は、零戦を駆って、昭和15年12月8日、同日の真珠湾攻撃に引き続き行われた台湾の台南航空隊所属の零戦隊の一員としてフィリピンのクラークフィールド基地攻撃(この攻撃の史実では、坂井三郎元海軍中尉も零戦3機編隊から構成される小隊長として攻撃に参加しており、クラークフィールド基地上空で迎撃に上がった米陸軍第21追撃飛行隊のサム・グラシオ中尉操縦のカーチスP-40ウォーホーク戦闘機と初の空中戦を行い、坂井三郎元海軍中尉は零戦得意の左急旋回からの一撃で同機を大破させ、その後同機は同飛行場にかろうじて胴体着陸し、さらに同基地上に駐機中だったB-17フライングフォートレスに地上銃撃を加えています。本攻撃は当初の予定では同日黎明に決行して、真珠湾攻撃に先立って日本のアメリカ合衆国に対する戦争の第一撃となる予定でしたが、台南航空隊のある台湾の台南基地が出撃当日の早朝からの濃霧に覆われたため出撃時刻が昼ごろまでズレ込むうちに真珠湾攻撃が先になされてしまったという経緯があります)の護衛に出撃するシーンから物語は始まり(この辺りはモデルとなった杉田庄一少尉の戦歴とは異なる映画のオリジナル脚本です)、各地を転戦し、主人公浜田正一はラバウル基地勤務時代には山本五十六聯合艦隊司令長官が戦死した護衛任務にも出撃し(これは杉田庄一少尉の実際の戦歴でもあります。山本五十六長官を含む日本海軍の高級幕僚が搭乗した2機の一式陸上攻撃機を護衛する6機の零戦による直援機のうちの1機に搭乗していました。この6機の零戦直援機の6人の搭乗員のうち戦後まで生き残ったのは大戦中に右手首先を切断する重傷を後に負うことになる撃墜王の柳谷謙治飛兵長のみであります)、最後はモデルとなった杉田庄一少尉同様に鹿屋基地からの敵襲を迎え撃つべく緊急発進離陸時に敵機の襲撃を受けて壮絶な戦死を遂げますが、本映画では紫電改は登場せず全編を通じて機体上面が濃緑色の零戦二一型に統一して描写されていました。「連合艦隊」と零戦燃ゆ」は過去のトピックの連合聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実- ~平成の国防を憂慮するにあたりこの人物について再考察してみるで紹介しています)。

 本トピック下部にアフィリエイトした比較的最近の映画である「永遠の0」(ゼロ)では、実物大の零戦レプリカ(比較的よくできていると思ういます)と最新VFXを用いて、物語前半は飴色がかかった明灰白色の零戦二一型が登場し、物語中盤から後半にかけては機体の翼と胴体の上面を濃緑色で塗装された零戦五二型が登場し、久しぶりに考証が正確な考証の映画であったことは満足しました(ストーリー他については世間ではいろいろとやかく言われたいるようですが私はあまり気にしません)。

 
 もはや古典といってもいいと思いますが、1970年公開の日米合作映画(アメリカパートはリチャード・フライシャー氏が監督し、当初、日本パートは世界の黒沢明氏が監督する予定でした。しかし、アメリカ側製作陣と黒沢サイドの対立やご自身の体調不良で、代わりに舛田利雄氏と深作欣二氏が日本パートの共同監督のメガホンを取りました)で三船敏郎さんが山本五十六司令長官を演じ、真珠湾攻撃を日米両面の視点で描写した超大作の「TORA! TORA! TORA!」(邦題「トラ!トラ!トラ!」:意味は「真珠湾奇襲二成功セリ」を意味する暗号電文で、MAXのユーロビートダンスソングじゃないよ(笑))で登場した零戦は、少々白すぎるきらいもありますが、キチンと全面明灰白色の機体色で零戦が塗装されており、古典的な作品でも考証の正確さに感服されます。なおこの映画で用いられた実際に飛行可能な零戦は、アメリカのテキサンT-8練習機を改造したもので、お世辞にもスマートな出来とはいえませんが、雰囲気は何となく零戦しているなァといった感じです(笑)。

 ですが、このテキサン改造の零戦レプリカは今でも多くの機体が現役でアメリカ合衆国各所に払い下げられており、多くの全米各地の航空ショーなどで観ることができます。

 ZEKE@SAAL司法試験合格直後司法修習直前の休み期間を利用して、かなり危険な無計画・無予約独り旅(懐かしの電波少年の猿岩石やドロンズも真っ青のドカチン旅行でしたが今となっては、無事に生きているからこそ、幸せな想い出です。でも、今じゃあとてもできないナァ)を敢行いたしました。日本の成田空港からロサンゼルスに到着して、ロサンゼルス近郊の、スミソニアン博物館の次と言っていいくらいに多数の世界中の復元軍用機の展示コレクションを展示しているプレーンズ・オブ・フェイム航空博物館を訪問して(本トピックの動画の零戦二一型V-128モデルのために内部機構をトレードさせていただいたタミヤ製零戦五二型リアルサウンドアクションのキットのエンジンサウンドは同博物館所蔵の世界で唯一オリジナルの栄二一型発動機すなわちエンジンを搭載し何度も日本も訪問して有名でもある現在でも飛行可能な復元零戦五二型のエンジンサウンドをタミヤがわざわざ同博物館を取材してサウンドを収録したものが素材となっています。また、同機は映画「パールハーバー」の撮影にも貸し出され実際の飛行シークエンスを披露していたほかVFXのモデルになっています)、さらに、メキシコ国境にほど近い、3月というのに炎天下のアリゾナ州デイビスモンサン空軍基地の航空祭で、上記のテキサン改造の零戦レプリカと九九艦上爆撃機レプリカと九七式艦上攻撃機レプリカのいわゆる「真珠湾日本機トリオ」によるパールハーバーショーを見学しました(ガソリンを利用した派手な爆発演出もあってアメリカ人に人気のあるショーなのです)。そのショーを前座として、アメリカ海軍航空隊アクロバットチーム「BLUE ANGELS」(ブルーエンジェルス、通称「ブルース」)の展示飛行(使用機は当時も現在もF-18C「ホーネット」で、現在の空母艦載機であるF-18E/F「スーパーホーネット」導入後に差別化して言うところの、いわゆる「レガシーホーネット」と呼ばれる機体です)のほかに、最新軍事機密の塊のB-2「スピリット」ステルス爆撃機(機体後部エンジンノズルは広大な格納庫を背にするように配置され、機密性が特に高い後部エンジンノズルが見える角度からの写真撮影は自動小銃を持った兵士が警備して厳重に禁止されていました)や、現在において世界で唯一飛行可能なB-29スーパーフォートレスであるFi! Fi!(フィフィ号)の機体内部に入ったりしたのですが、大量に撮影した当時のネガベース・・・懐かしい・・・の写真が散逸しているのが重ね重ねも悔やまれます。最新鋭第五世代戦闘機F-22ラプターは当時開発途中で見学はできませんでしたが、あらゆるといっていい米軍系現用軍用機(カナダ空軍からの参加もありました)を見学できました。アメリカ合衆国の航空祭(いろんな意味がありますが沖縄も含みます)のイイところは、日本の航空祭よりも規制がゆるくて実際の軍用機の近くに接近できたり、コクピット(操縦席)に乗せてくれたり(隊員の小遣い稼ぎに有料のこともある(笑))、国民と距離の近い米軍の広報活動のスタイルです(それがホントにいいことかは別にして)。


大空のサムライ デラックス版 [DVD]大空のサムライ デラックス版 [DVD]
(2007/07/25)
藤岡弘、志垣太郎 他

商品詳細を見る

 1976年(!)の劇場公開にもかかわらず長らくビデオ化できなかったことから「幻の作品」とされていましたが、複雑な権利関係の解決に伴い、ようやく2007年にDVDで復刻した名作映画です。
 藤岡弘、(いまだ未完成だからというユニークな理由で、現在の表記では”、”が要るんですよね)さんが主人公にして原作の著者である坂井三郎元海軍中尉を熱演し、ご生前の坂井三郎元海軍中尉ご自身も映画の冒頭にインタビュー出演なされています。
 劇中の実在の人物は以下の通りで(他にもモデルが推定できる登場人物は何人かいますが)、坂井三郎元海軍中尉を藤岡弘、さんが主演されたほか、坂井三郎元海軍中尉(当時は一飛曹だったので士官ではなく下士官兵でした)と激戦の南方戦線戦のさなかに階級を超えた男の友情で結ばれることになる上官の士官搭乗員である笹井醇一中尉(坂井三郎元海軍中尉が上記の重傷でラバウル基地を離れた後、1942年8月26日、奇しくも坂井三郎元海軍中尉の誕生日に、アメリカ海兵隊のエースパイロット(撃墜王)であるマリオン・カール大尉が駆るグラマンF4Fワイルドキャット艦上戦闘機と、米軍が設営したガダルカナル島に設営されたヘンダーソン飛行場上空の低高度一対一のドッグファイト空中戦で、地上の基地隊員数百人が見守る中、笹井醇一中尉はカール大尉に撃墜されて壮絶な戦死を遂げられ、死後の二階級特進により最終階級は少佐に昇進しました)を志垣太郎さんが演じ、坂井三郎元海軍中尉の可愛い年若い部下であった本田敏秋二飛曹を伊藤敏孝さん、坂井三郎元海軍中尉の昔からの上官である半田飛曹長に島田順司さん、ラバウル基地司令の斉藤正久大佐に丹波哲郎さん(ヤッパリこうゆう役が似合うんだよなァ、この御仁は。惜しい方を亡くされました)、同副司令の小薗安名中佐にゴジラの第一作にも科学者として出演された名脇役の平田昭彦さん(実存の小薗中佐は斉藤指令の後任としてラバウル基地の司令に就任し終戦時には日本本土の帝国海軍航空隊発祥の地である横須賀海軍航空隊所属でしたが徹底抗戦を主張したことでも有名です)などがあげられます。
 後に平成ゴジラシリーズの特技監督(特撮の監督のこと)である川北紘一氏は空中戦の様子を模型の宙吊りなどよりは、はるかに手間暇金のかかる多数機のラジコン機の同時飛行により再現し、迫力のある空中戦を再現しており、現在の眼にも耐える出来栄えと言っていいでしょう。
 惜しむらくは、上記の本文で長々とウンチクを垂れたことですが、零戦の機体色が当時の明灰白色(この間までの流行で言うと「飴色」)ではなくガダルカナル航空戦中期から終戦まで導入された機体上面を濃緑色でジャングルの樹海に溶け込むことを狙った一種の迷彩塗装の機体色とされていることです。坂井三郎元海軍中尉が指導する機会は得られなかったのでしょうか。重ね重ねもこの点だけは残念です。

永遠の0 豪華版(DVD2枚組) 初回生産限定仕様永遠の0 豪華版(DVD2枚組) 初回生産限定仕様
(2014/07/23)
岡田准一、三浦春馬 他

商品詳細を見る
 宮部久蔵帝国海軍零戦搭乗員(本映画上の架空の人物です)は優れた技量をもちながらも愛する妻のため「海軍一の臆病者」の汚名を甘んじて受けてひたすら生き延びることに徹する異色の海軍零戦搭乗員であった。しかし、最期は神風特攻隊員として出撃することを選択する葛藤を描いています。上記に述べたように、零戦は実物大レプリカが製作され、さらに優れたVFXにより、上記に述べた通り、、物語前半は飴色がかかった明灰白色の零戦二一型が登場し、物語中盤から後半にかけては機体の翼と胴体の上面を濃緑色で塗装された零戦五二型が登場し、久しぶりに考証が正確な考証の映画であったことは満足しました(ストーリー他については世間ではいろいろとやかく言われたいるようですが私はあまり気にしません)。

下記の「坂井三郎空戦記録」は「大空のサムライ」のもととなった本で、戦後しばらくして出版され、その後長らく絶版となっていたものが復刻されたものです。後に発刊された「大空のサムライ」とは異なり、坂井三郎元海軍中尉がガダルカナル島上空で負った上記の重傷により内地帰還となり、苦悶の麻酔無しの右眼球内異物摘出手術(!・・・ガラス片だったそうです)や入院治療で身体の回復を図り、大村航空隊の教官として搭乗員候補生の指導に従事し、その後、海軍航空隊発祥の伝統のある横須賀航空隊に転属して硫黄島に進出して同島の防衛の死闘の空中戦(一大空中戦の後に帰投すべく空中集合していた米海軍のF-6Fヘルキャットの編隊を、集合している味方編隊と誤認した坂井機は単独で不用意にも接近してしまい、敵機15機に包囲攻撃を受けますが、辛くも逃げを打ち、かかる攻撃を振り切って硫黄島に帰投します)に参戦したことや、硫黄島からの撤退後は、日本本土の四国は松山基地に源田実大佐によって開隊された第三四三海軍航空隊(通称「剣部隊」)の「維新隊」所属の新鋭局地戦闘機「紫電改」の教官を務めたことや、終戦の玉音放送は海軍航空隊発祥の地でもある伝統の横須賀航空隊横須賀基地で拝聴し、翌日、平和使節団の一団が、白地に緑十字マークを入れた一式陸攻で横須賀基地を離陸する様を見送るまでが描かれております。
坂井三郎 空戦記録坂井三郎 空戦記録
(1992/12)
坂井 三郎

商品詳細を見る

下記2種類の文庫版はかつて光人社からハードカバーで発売されていた「大空のサムライ」を分冊化したものです。「坂井三郎空戦記録」とは異なり、硫黄島防空に進出していた横須賀航空隊が硫黄島から、坂井三郎元海軍中尉を含む生き残りの零戦搭乗員たちがオンボロの一式陸攻で撤退して、千葉の木更津基地に辿り着き、水飢饉の硫黄島と異なり、蛇口から無尽蔵に出てくる生命の水を腹いっぱいに飲み込んで、「生の実感を得る」シーンで物語が完結します。

大空のサムライ(上) 死闘の果てに悔いなし (講談社+α文庫)大空のサムライ(上) 死闘の果てに悔いなし (講談社+α文庫)
(2001/04/19)
坂井 三郎

商品詳細を見る

大空のサムライ (光人社NF文庫)



関連記事
スポンサーサイト
Secret

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。